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ハッピーをふやそう♪

to About

プロジェクトについて

このホームページは、私たち初期メンバーが作成しました。今後、メンバーの皆さんで作り、育てていく発展途上のものです。このホームページを通じて、メンバーの皆さんから「恩返しプロジェクト」の具体的中身についての提案、意見を募集します。その中から広く紹介したい内容のものは、ホームページに掲載します。

 そういった提案をもとに、恩返しプロジェクトの企画を立案し、次に、その企画を実現していこうと考えています。つまり、このホームページは、その出発点ということができます。財源も人手もない中で、このホームページは仲間の手作りで完成したものですので、決して見栄えのいいものではありません。それでも、中身から、私たちの心意気は感じてもらえるものと思っています。

 

 以下、恩返しプロジェクトの趣旨・目的です

 

 

 私たち恩返しプロジェクトの初期メンバーは、日本骨髄バンクを経由して骨髄移植を受け、血液のがんから生還することができたサバイバーです。現在は、みんな仕事をし、元気な日常生活を送っています。

 こうやって元気でいられるのは、骨髄を提供してくださったドナーさんのおかげです。また、ドナーさんと結びつけてくれた日本骨髄バンクのおかげでもあります。何らかの形で恩返しをしたいという思いを、ずっと抱いてきました。

 その生命の恩人である日本骨髄バンクが窮状を抱えていることを知って、ますますその思いが強くなりました。具体的には、ドナー登録者が不足していること、特に、若い登録者が足りないことです。また、財政上も厳しい状況にあります。

 そこで、なんとか日本骨髄バンクを元気づけたい、それが私たちの恩返しになると考えたのが、「恩返しプロジェクト」を始めた理由です。

この恩返しプロジェクトは、2015年12月、NPO法人血液情報広場つばさの「Newsletterひろば」で紹介されて産声を上げました。

プロジェクトは法人ではありませんので、つばさに郵便振替口座と銀行口座開設をお願いしました。詳しくは、NPO法人血液情報広場・つばさのHPをご覧ください。(http://tsubasa-npo.org/

実際に、ドナー登録者を増やすためのプロジェクトを実行するとか、寄付を集めるといったことをしたいと思っています。それと同時に、「恩返しプロジェクト」のメンバー登録者を増やすことによって、全国のサバイバーが日本骨髄バンクを応援していることを示すことができると考えています。

 骨髄移植を受けて再生した全国のサバイバーの方々にお願いです。まずは、「恩返しプロジェクト」の登録メンバーになってください。メンバーに登録すれば、メーリングリストにも登載しますので、メンバー同士の情報のやりとりが、メールで届きます。

 

to Services

    初期メンバー  

浅野 史郎

(恩返しの気持ちを形に)

 

 2009年6月、61歳の私は、ATL(成因T細胞白血病)を発症して、東京大学医科学研究所附属病院(医科研)に入院しました。医科研で抗がん剤治療を受けて病気が寛解したところで、骨髄移植を受けるために、国立がん研究センター中央病院(国立がんセンター)に転院しました。

 東北大学病院で、「ATLが発症し、急性化しました」という告知を受けた時のショックは大きかったです。ATLは白血病の中で、最も治りにくく、最も死にやすいと聞いていたということもあります。しかし、その告知に続いて、「骨髄移植でしか治りません」と言われたことには、「そうか、骨髄移植を受ければ治るんだ」と反応したことを思い出しています。治るということに希望が持てたのです。

 国立がんセンターに入院し、いろいろ治療を受けたり、検査したりしていましたが、その結果は順調でした。そんな中で、懸念していたのは、骨髄移植のドナーがみつかるだろうかということでした。「骨髄移植を受ければ治る」と信じていましたが、肝心のドナーがみつからなければ、移植は受けられず、どうにもなりません。

 「ドナーがみつかった」と聞いた時には、ほっとしました。万事に楽天的な私は、「これで助かった」と確信したものでした。高齢者に骨髄移植は無理と言われていた頃ですが、主治医の田野崎隆二先生は、身体への負担が軽くて済むミニ移植を数多く手がけていて、私もミニ移植を受けることになっていたからです。「ドナーさえみつかれば骨髄移植は受けられて、病気も治る」と単純に信じていました。

 ドナーがみつかったのですから、そこからは骨髄移植に一直線です。田野崎先生によるミニ移植を無事に終えました。移植してから何度か、かなり危機的な状況もありましたが、なんとか乗り越えて、2010年2月に退院することができました。医科研、国立がんセンターを通じて8ヵ月の入院生活でした。

 退院後は、順調に経過し現在に至っています。生活は入院前に戻り、あたりまえの生活を送っています。こうやってあたりまえの生活を送っていると、自分が死ぬか生きるかの病気をしたATLサバイバーであることを忘れてしまいそうです。しかし、あたりまえの生活を送れることがどれだけありがたいことか、そしてそれは誰のおかげなのか、そのことを思い起こして、粛然たる思いになることもあります。

 「ドナーがみつかった」というあの時がなければ、私は生きていなかったでしょう。もちろん、治療に関わってくださった医師など医療スタッフのおかげもあります。しかし、直接的に私の命を救ってくれたのは、あのドナーさんです。名前も知らないドナーさん、そしてドナーさんと患者の橋渡しをしてくれた骨髄バンクが大事な命の恩人です。

 ドナーさんと骨髄バンクに命を助けてもらった恩返しをしたいと考えるのは、私だけではないでしょう。しかし、その気持はあるけれど、実際にどうやって恩返しをしたらいいのかわからないために、何もできないというのが、骨髄移植で病気を治してもらったサバイバーの実態ではないでしょうか。

 恩返ししたいという思いを形にしたい。そんな思いを乗せて、恩返しプロジェクトが発進します。サバイバー本人に限りません。多くの関係者の方々の協力を得て、出発です。

to Work

 わたしは2001年10月に急性骨髄性白血病発症(AML M0)のため都立駒込病院に救急車で運び込まれました。当時34歳でした。

感染症のため腫れ上がった右腕を失いそうになったり、真菌感染症のため右肺の2/3を失いそうになったりするピンチを乗り切り、なんとか翌年の2002年5月に骨髄バンクによるコーディネートで非血縁での骨髄移植にこぎつけました。

移植自体も決して順調というわけにはいきませんでしたが、退院後はゆっくりと体力を回復しており、今では大変元気にさせていただいています。

移植後10年目ぐらいに始めたランニングは今ではハーフマラソンをこなせるようになり、最近ではフルマラソン完走を目標に練習をしています。

つね日ごろの血液情報広場つばさ、血液患者コミュニティももの木、駒込病院血液内科病棟での院内おしゃべり会での活動を通じていろいろな患者さんに接する機会がありますが、少なからず元気になった姿を見てもらうことは、これから移植に向かう患者さんに希望を与えているのではと感じています。

最近ではそれを自分の使命のように思っています。

そんな中、骨髄バンクのドナーさんの年齢層が上がっている、財政的に苦しい状況に陥っているというようなことを小耳に挟みました。

骨髄バンクのピンチとあらば目立つことはあまり好きではないわたしですが、そうも言っていられないかと思い立ちあがることにしました。

わたしは最近骨髄バンクへの感謝を忘れていたような気がします。(ドナーさんへの感謝は決して忘れないのですが・・・)

全国のサバイバーの皆さん、骨髄バンクへの恩返しを考えてみませんか。

皆さんでネットワークを作り骨髄バンクの存在をアピールする活動をしてみましょう。

佐藤 恒
新井 辰雄

私は2002年5月、急性リンパ性白血病(ALL L-2)を発症し、2003年3月、骨髄バンクを介し骨髄移植を受けました。

入院、寛解、ドナー探しは約3ヶ月、転院、移植、生着、退院と治療、移植と比較的順調に進みました。

退院後は半年ほど満員電車を避けた10~16時の勤務を行い段階的に勤務時間を増やして行き現在はお陰様で出張に出たりと公私ともに以前の様に日々バタバタとした生活を送っております。

入院中に自身が体験した初の移植患者さんとの生の会話が移植への大きな自信となり、2003年末に血液患者さんの集いである『NPO 血液患者コミュニティ ももの木』に参加、2006年7月には院内のおしゃべり会として『東大病院おしゃべり会/パロス』を立ち上げ、並行して『HosPAC/院内患者会世話人連絡協議会』に参画することになりました。

しかしながら移植後3年後ほどから身体の回復と心の回復は比例して立ち上がって来ず、その悩みを相談、解決に導いてくれるのもおしゃべり会の仲間たちでした。

移植から13年、改めて血液疾患サバイバーとしての経験を踏まえた中で、ドナーさん、ドナーさんと私を結び着けていただいた骨髄バンクへの感謝を表したいと思います。

私たちサバイバーは骨髄バンクの成果でありながら、普段は数字の中の一人であるだけ、移植同様で一人の力では前に進むことは困難です。そこで全国のサバイバーの皆さんで骨髄バンクの成果として集結し骨髄バンクに何かお恩返しが出来ないかと考えます。

骨髄バンクの財政事情、モイベーションが長期期待される若いドナーさんの登録などはもちろん、今後具体的にサバイバーとして出来ることを考えていきたいと思います。

 全国のサバイバーの皆さん、体調に合わせまして、是非ともご参画願います。これからがスタートです。その結果全国のサバイバーさん方のネットワークが出来、おっしゃべりが出来たら最高です。

樋口大悟

1977年、新潟県出身 東京在住
骨髄移植から8年目の現在はGVHDもなく元気に俳優として活動しております。
骨髄バンクとドナーさんがいなければ、今の私は存在しません。
この繋がった命を次の誰かの為に。

〔暦〕
2003.9月(25歳)
急性骨髄性白血病と診断され、入院

2004.4月(26歳)
寛解により退院

2005.8月(27歳)
治療性の骨髄異形成症候群と診断される

2008.11月(30歳)
骨髄バンクのドナーさんから骨髄提供を受け、移植。

【注意事項】必ずお読みください。

ハッピーメンバーに参加ご希望(メーリングリスト申込)の方は、メッセージの中に本名、

居住地(都道府県)、電話番号をご記載ください。追ってメンバーよりメールにて返信致します。

尚、お送りいただいた個人情報は本プロジェクト内での使用に限ります。

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